- 雨が降らなそうだ
- 雨が降らなさそうだ
1 と 2 の違いは、「さ」が入っているかどうかですね。これまでは、多くの場合「1. 降らなそうだ」が正解とされてきました。ところが、NHKが以前、アンケート調査を実施したところ、以下の結果が出ていました。

すなわち、「2. 降らなさそうだ」でも間違いではないと回答した人が、特に九州沖縄から東海地方にかけて50%以上に上ったのです。また、関東地方以北でも、半数近くの人が同じような回答をしました。そうなると、必ずしも「1. 降らなそうだ」が正解とは言えないような気がします。
そこで、何故このようなアンケート結果が出たのかを文法的に探ってみることにしました。
「ない」+「そうだ」の用例は、大きく分けると次の二つに整理できます。
- 「危ない(形容詞)」+「そうだ」の場合
- 「降らない(動詞+助動詞)」+「そうだ」の場合
➀については、ほぼすべての人が「危なそうだ」を選ぶでしょう。➁については上記の結果をみてもわかるように、「1. 降らなそうだ」と「2. 降らなさそうだ」に判断が分かれます。
まず①の「危ない」は形容詞であり、活用しない部分である語幹は「あぶな」、活用語尾は「い」となります。一方、②の「降らない」は動詞「降る」の未然形「降ら」に助動詞「ない」が付いた形です。
➁の場合、助動詞「ない」を形式的にみれば、語幹が「な」、活用語尾が「い」であるかのようにも思われます。そこで、「そうだ」が活用語尾「い」と交替すると考えるなら、「降らなそうだ」という形が導かれることになります。

ところが、助動詞「ない」は、文法上、語幹と語尾に分けることはできないとされています。そうすると、「降らなそうだ」という言い方は、「危なそうだ」「切なそうだ」のような「形容詞(語幹末尾が「な」のもの)+そうだ」の形を類推した結果として生じたものだと考えられます。この類推が成立しやすい背景には、助動詞「ない」の活用が、形容詞「危ない」の活用と形式上きわめてよく似ているという事情があります。すなわち
危なかろ / 危なかっ・危なく / 危ない / 危ない / 危なけれ
と同じように、「降ら+ない」の「ない」も「降らなかろ(う)〔未然形〕」「降らなかっ(た)〔連用形〕」「降らなく(て)〔連用形〕」「降らない〔終止形〕」「降らない〔連体形〕」「降らなけれ(ば)〔仮定形〕」のように活用します。このように助動詞「ない」の活用形が形の上では完全に一致していることからの類推が働いたのだと考えられます。
では、「2. 降らなさそうだ」の場合はどうでしょうか。
形容詞「ない(無い)」に目を向けると、「そうだ」を下接する場合、「なそうだ」とは言わず、「なさそうだ」と言うのが普通です。このため、「2. 降らなさそうだ」と答えた人は、この「ない → なさそうだ」に引かれているのではないか、という見方が成り立ちます。
そこで、今度は「そうだ」の前を比べてみましょう。
「~そうだ」という表現において、「~」の部分には何か共通した特徴はないでしょうか。
「~そうだ」という表現は、「『~』という事実」をもとに、見た目の状況や伝え聞いた内容から予想する表現です。そう考えると、「~」の部分には、「一定の事実を表す概念」、言い換えれば、「独立した意味のあるまとまり」が必要だと言えそうです。
①の「危なそうだ」の場合、「~」に当たるのは「あぶな」です。では、これを一つの意味のある言葉として理解してよいでしょうか。この判断には、個人差や地域差が影響するようですが、文法学ではこれを「形容詞語幹独立用法」と呼んでいます。やや地域的偏りはあるものの、人が車にひかれそうな場面で思わず「危な!」と言ったりする表現は自然に用いられています(注)。こうした表現は現代の話し言葉に限られたものではなく、たとえば「あなきたな、誰に取れとてか(まあ、きたない。誰にとりかたづけよと言うのですか。)」(『徒然草』第四十八段)や、短歌における「藍微塵/とて名もはかな/ひとのこころのにがき日を」(三好達治『花筐』)のように、形容詞語幹が独立した一語として文学の世界でも用いられてきました。

では、この考え方を➁に当てはめてみるとどうでしょうか。「降らなそうだ」の「降らな」を、➀と同じように、「独立した意味のあるまとまり」と考えるのは少し無理があるように感じられます。
そこで「降らなさそうだ」という形が登場します。「降らなさ」とすることで、「降らないという事実」を名詞のようにまとめて表わすことができそうだからです。もっとも、「降らなさ」という表現には、どこか違和感を覚える人も多いでしょう。形容詞なら、「高い→高さ」「悲しい→悲しさ」のように、自然に名詞化(体言化)できますが、「降らない」のような「動詞+助動詞」の形では、「降らなさ」や「動かなさ」「歩かなさ」といった言い方には、どうしても不自然さが残ります。
ただ、先ほど述べた形容詞「ない」の場合、「ない → なさそうだ」の変化は「そうだ」の前の「ない」を名詞化して、「なさ」という「独立した意味のあるまとまり」に置き換えているのだと考えられます。よって、この場合も同様に、「そうだ」の前に「独立した意味のあるまとまり」を置こうとした結果とみることができます。

以上をまとめますと、次のようになります。
- 「1. 降らなそうだ」を選んだ人は、「危ない」「切ない」のような語幹末尾に「な」を含む形容詞と、助動詞「ない」の活用形が、形式上、完全に一致することから、①の「危なそうだ」と同じ感覚で「降らなそうだ」を使っていると考えられます。しかしながら、助動詞「ない」は語幹と語尾とに分けられません。また、「そうだ」に上接する「降らな」を「独立した意味のあるまとまり」とするには無理がありそうです。
- 「2. 降らなさそうだ」を選んだ人は、「そうだ」の前に「独立した意味のあるまとまり」を置こうとして、接尾語「さ」を付け加えて名詞化していると考えられます。しかし、「降らなさ」という表現に不自然さが感じられます。
結局のところ、どちらを選んでも、それぞれ一長一短があるわけです。
NHKの調査結果を見ても、多少の地域差は見られるものの、決定的な違いがあるとは言えません。実際この調査が公表されてから「1. 降らなそうだ」を正解とする設問はあまり見かけなくなりました。「1. 降らなそうだ」「2. 降らなさそうだ」のどちらを選ぶかは、話し手がどちらの感覚をより自然だと感じたかによるもののようです。それは、理屈よりも、言葉の感触に基づいた選択だと思われます。
我々は、ともすれば「正しい答えは一つ」と考えがちです。しかし、「ことば」は本来生き物ですので、一つの法則に縛られない場合が出てくることもあるのだと思います。
私は、「ことば」においても、特に話し言葉に関しては、多様性を認める姿勢があってよいと思うのですが、みなさんはいかがお考えでしょうか。
参考文献
- 注小林隆、澤村美幸(2014)『ものの言いかた西東』(岩波新書1496)岩波書店、pp.62-65.参照
- 丸田博之(2022)「所謂「さ入れ言葉」の一表現について—「そうだ」が下接する場合」『近代語研究第23集』(近代語学会 編)、武蔵野書院
- 『日本国語大辞典』項目「ない」(助動詞)の「語誌」(6)
- 『日本国語大辞典』項目「な・い」(形容詞)【無・莫・勿・毋・无・亡】の「語誌」(7)
- 塩田雄大「「降らなそうだ」?「降らなさそうだ」?」NHK放送文化研究所「最近気になる放送用語」、2011.02.01公開
丸田博之

参考文献