知らない人にはどう呼びかけたらいいのでしょうか?
1. 「すみません、そこの奥さん」
「すみません、そこの奥さん、道をお聞きしたいのですが」その言葉は、私に向けられていました。この時の気持ちをSNSにつぶやいた「知らん人に呼びかけられるの「奥さん」やめてほしいんだが。奥さんちゃうし」という投稿と、それに続けて気づきをつぶやいた「だが日本語には、独身30代女性への呼びかけ名詞が無いのだよな」という投稿が、はからずもバズって(注目を浴びて)しまいました。


リプライ(返信)には様々なコメントや意見が見られましたが、多くの人が見知らぬ相手から親族名詞(奥さん/お父さん/お母さん/おじいちゃん/おばあちゃん/おばさん/おじさん/お姉さん/お兄さん)で呼びかけられたことで違和感を経験しており、また同時に、何と呼んだら良いか迷っているということが分かりました。
2. 日本語の会話で「あなた」は使いにくい
以下、相手をどう呼ぶかという“呼び名”のことを、言語学用語を使って『対称詞』と呼ぶことにします。対称詞とは、会話の話し手が聞き手のことを指す時に使用する語彙のことです。
さて、たとえば冒頭のような場面で「すみません、そこのあなた」とはあまり言いませんよね。日本語の会話において、英語の you にあたるような二人称名詞(あなた等)を対称詞として使うことは避けられる傾向にあります。米澤陽子の意識調査「二人称代名詞「あなた」に関する調査報告」(2014年実施、東京話者428名対象)によると、会話の相手に対して「あなた」を「全く使わない」という回答が、相手が目上の場合93.6%、目下の場合も67.6%、同等者の場合も62.9%あったそうです。このように二人称名詞を使わない理由について田窪行則「日本語の人称表現」では「敬意のための直示性の忌避」と説明しています。簡単に言うと、二人称を使用すると「聞き手」という役割を直接的に相手に与えるという強い圧があるため、敬意を表すためにこれを避けるという考え方です。

3. 「あなた」ではなく役割で呼ぶ
では、二人称を避けながら、相手をどのように呼ぶのでしょうか。日本語の会話では一般に、相手が知らない人である場合「役割」を援用します。たとえば、制服などを見て分かる場合は「おまわりさん」や「店員さん」など職業役割で呼びます。それが分からない場合は、見た目から推定される家族役割を当てはめて「奥さん」「お父さん」のように呼びかけます。そしてこれによって今、「奥さん問題」が発生しているわけです。
4. 社会の変化によるズレ
見た目(年齢や性別)からその人の家族役割を推測し、その役割で呼びかける行為は、従来の社会構造の中では、今よりも現実とのずれが小さかったのかもしれません。たとえば1970年の国勢調査ベースのデータでは、女性の未婚率※1は25~29歳で18.1%、30~34歳で7.2%、35~39歳で5.8%でした。少なくとも25歳以降、とりわけ30代女性については、「多くは結婚している」という想定は、当時の社会では今より現実に近かったといえます。ところが2020年には、同じ年齢層の未婚率が25~29歳で65.8%、30~34歳で38.5%、35~39歳で26.2%まで上昇しています(国立社会保障・人口問題研究所2023、表1-2)。今では、成人女性を見た目だけで「奥さん」とみなす前提は成り立ちにくく、そうした呼びかけは実態とのずれを生みやすくなっています。
| 女性の年齢 | 1950年 | 1960年 | 1970年 | 1980年 | 1985年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 | 2020年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 25–29歳 | 15.2 | 21.6 | 18.1 | 24.0 | 30.6 | 40.4 | 48.2 | 54.0 | 59.1 | 60.3 | 63.2 | 65.8 |
| 30–34歳 | 5.7 | 9.4 | 7.2 | 9.1 | 10.4 | 13.9 | 19.7 | 26.6 | 32.0 | 34.5 | 36.6 | 38.5 |
| 35–39歳 | 3.0 | 5.5 | 5.8 | 5.5 | 6.6 | 7.5 | 10.1 | 13.9 | 18.7 | 23.1 | 25.5 | 26.2 |

国立社会保障・人口問題研究所(2023)「資料表1-2 男女、年齢、配偶関係別人口割合 : 1950~2020年」『日本の将来推計人口(令和5年推計)報告書』pp.256-257に基づき、『ことば研究館』にて表と図を作成
なお、家族役割で呼ばれることへの違和感は、女性に限ったものではなく、男性も経験しています。たとえば冒頭のSNSに対する男性からのリプライには、「お父さん」「ご主人」「おじさん」と呼ばれたことで嫌な思いをしたという体験談が寄せられました。このように、生き方も価値観も多様化した現代の社会において、旧来の家族像に基づく呼びかけは現実と食い違ったり、相手のアイデンティティを傷つけたりするものになりつつあると考えられます。
5. では知らない人にどう呼びかける?
では、知らない人に呼びかける時どうすればよいのでしょうか。
これについてはおそらく、言語学者が答えを出したり、政府や学会が決めて施行したりするものでもないように思われます。たとえば日本語ジェンダー学会HPには、「奥さん」「ご主人」の代替案として「妻さん」「夫さん」を提唱する記事(水本光美「改まった場における他人の配偶者の呼びかた」)が出ていますが、2026年現在の日本社会においてまだ広く定着しているとは言いにくいようです。今後社会の潮流(今時だとSNSでバズるなど)の中で、そのうちぴったりくる対称詞案が自然に出てくるかもしれませんし、出てこないかもしれません。
では、そのような語彙が生まれるまでは、どうしたら良いのでしょうか。
応急処置的な方法としては、対称詞を何も使わず挨拶表現だけでひきつけるいわゆるゼロ呼称(すみません、あの~等)や、その人の様子や恰好で呼びかける方法(青い服のかた等)などがありえます。ただしこれらは、最初に呼びかける時は使いやすいのですが、呼びかけて以降も会話をある程度続ける場合には問題が残ることがあります。たとえば街頭インタビューなどで「すみません、そこの青い服のかた。少しお話を聞いてもいいですか?」と呼びかけた後に続ける会話の中で、相手に対して対称詞として「青い服のかた」を使い続けることはできません(例 : ×青い服のかたはどうしてこのイベントに来たんですか? ×青い服のかたがおすすめのお店はどこですか?)。
また、ゼロ呼称を使ったあと、相手を指す主語や目的語を省略して話を進める方法もありますが(例 : すみません、お伺いしていいですか?(省略 : あなたは)どうしてこのイベントに来たんですか?)、たとえば相手が複数名いる場合には、特定のひとりに話を振りたい時に何らかの対称詞が無いと不便になる場合もあります。このように、呼びかけをクリアした後も会話をある程度展開させないといけない場合は、たとえば「どうお呼びしたら良いですか」と相手に呼び方を確認するなどのステップが必要かもしれません。
『奥さん』と呼ばれて引っかかるのは、個人の気にしすぎではなく、ことばの慣習と社会の変化のズレが見えているからだといえます。社会の転換期にことばが追い付いていないことによって生じている呼びかけ問題。今後どうなるか、しっかり観察していきましょう。
参考文献
- 国立社会保障・人口問題研究所(2023)「男女、年齢、配偶関係別人口割合 : 1950~2020年」
『日本の将来推計人口(令和5年推計)報告書』pp.256-257、2026年3月23日 最終閲覧 - 鈴木孝夫(1982)「自称詞と対称詞の比較」、国広哲弥 編『日英語比較講座5——文化と社会』、大修館書店、pp.17-59.
- 総務省統計局(2021)
『令和2年国勢調査』、2025年8月26日 最終閲覧 - 田窪行則(1997)「日本語の人称表現」田窪行則 編『視点と言語行動』くろしお出版(PDFオンライン版、ResearchGate、uploaded 2019-04-10/PDF CreationDate 2009-10-14)
ResearchGate、2025年8月26日 最終閲覧 - 水本光美(2010)「改まった場における他人の配偶者の呼びかた」ジェンダーエッセイ、日本語ジェンダー学会Webサイト
- 米澤陽子(2016)「二人称代名詞「あなた」に関する調査報告」『日本語教育』163巻、pp.64–78.
J-STAGE
坂井美日

参考文献