まだ買っていないのに「さあ、買った買った!」と言うのはなぜですか。
「行為指示表現」のさまざま
人に何かを命じたり、お願いしたり、勧めたりする表現を「行為指示表現」と言います。例えば、「買う」ことを人に求めるとき、どのような語・形式を使うでしょうか? 何を買ったらいいかを友人から相談されたとき、家族に欲しいものをねだるとき、店員の立場としてお客さんに商品を勧めるときなど、色々な状況を考えてみてください。
まず、最もシンプルなのは、「買え」(動詞「買う」の命令形)、「買いなさい」(助動詞「なさる」の命令形)、「買ってください」(補助動詞「~てくださる」の命令形)のような、用言の命令形を使うことです。「買ってもらえますか?」「買ってくれない?」のように、疑問文を使って「買う」かどうかを聞き手に委ねつつ、依頼をする場合もあります。
少し遠回しな方法としては、「「買う」ことを望ましいと思っている」ことを伝えて、聞き手の同調を誘うこともできます。例えば、(書店で家族に)「この本を読みたい」「この本を買ってほしい」のようにして自身の希望を伝えることもあれば、(友人に)「買うべきだ」「買ったらいい」「買ったほうがいい」のように、「買う」ことを肯定的に評価していることを伝えることもあります。ちなみに、ビジネスメールでよく使われる「ご検討いただけましたら幸いです/ありがたく存じます」のような表現も、「「(あなたが)検討する」ことが成立したら、(私が)好感情を抱く」ということを伝えることで、遠回しに依頼を行うものです。

このような「行為指示」が行われ得るのは、概略、「①話し手が事態(「買う」こと)の成立を望んでいて、②事態を成立させる能力を持つ聞き手がいて、③事態が未実現である」という条件が揃っている(と、話し手が認識している)ときに限られます。これを「行為指示の条件」と呼んでおきましょう。例えば、「この商品を買ってください」という発話は、①話し手が商品を買ってほしいと思っていないとき、②聞き手がいないときや、③既に聞き手が商品を買った後に行うと、不自然になります。

なぜ、過去の「た」が行為指示に使われるのか?
質問の「買った買った!」には、過去を表す「た」が使われています。この表現の面白いところは、「命令形」や、「希望」「評価」「好感情」を伝えるといった方法とは異なり、「行為指示」との繋がり——つまり、なぜ「過去」の形式が、「未来」に起こる「行為指示」を表すのか?——がよく分からないところです。ちなみに、囲碁・将棋の「待った」、相撲の「のこった」、時代劇の賭博の場面で使われる「さあ、張った」といった定型的な表現も、これと同じ現象に由来しています。
さて、この「買った買った!」は、①「聞き手(客)が品物を買う」ということを話し手(売り手)が望んでいて、②眼前に聞き手(客)がいて、③まだ聞き手(客)が品物を買っていない、という「行為指示の条件」が成り立つ場合にしか使えません。また、興味深いことに、他の行為指示とは異なり、「差し迫った」場合にしか使えないという制約があります。
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- ◯ さあ、今すぐ買った!
- × えっ、いらないんですか? じゃあ、そのうち買った!
つまり、「買った買った!」は、上の「行為指示の条件」が揃っていることを前提として、「既に聞き手(客)が買った」という発話を直接的に聞き手(客)に投げかけることによって、発話時に「「買った」ことが成立する」ことを求める、行為指示の表現として成立しているのだと考えられます。

なお、この表現は「さあ」などの促しの感動詞を伴ったり、「買った買った!」のように繰り返したりしていないと、すわりが悪くなります。これは、単に「買った。」と言うだけでは(2)のような、事実を述べるだけの「叙述」の文と見分けが付かなくなってしまうため、それと区別される特別な構造が使われやすくなっているのでしょう。
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- (友人に漫画の新刊を買ったかどうかを尋ねられて)うん、買った。
- (店の前をうろうろしている人が、購入に踏み切ったのを見て)あっ、買った。
行為指示の「た」の歴史的・地理的側面
この行為指示の「た」の、歴史的な側面と地理的な側面についても触れておきましょう。まず、歴史的には、この表現が生まれたのはそれほど古いことではなく、18世紀初頭の近松門左衛門の浄瑠璃の台本に見えるのが早い例です(→例文(3))。それから少し遅れて、「た」の前身である「たり」にも行為指示の用法が見られるようになります(→例文(4))。「た」という形式自体は「たり」に由来するのですが(参考記事 : ことばの疑問「古典文法では過去や完了の助動詞がたくさんあるのに、現代語ではなぜひとつしかないのですか」)、この用法に限っては、新しい形式の「た」が、古い形式の「たり」に影響を与えています。
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- やれ来たり買たり買たり(和田合戦女舞鶴[1736演])
- コリヤ 〳〵 待たり 〳〵 。ころぶよ 〳〵 。(浮世風呂・前編上[1809刊])
また、地理的側面から見ると、「買った買った!」には、なんだか「チャキチャキした江戸っ子」のようなイメージが感じられるかもしれませんが、使用地域は江戸・東京に限られず、(3)のように上方でも使われたようですし、現代の日本語の諸方言にも類似する現象が見受けられます。それぞれ、(5a)は終助詞の「や」、(5b)は共通語の「…てくれる」に相当する「…てごす」(「…てよこす」に由来)、(5c)は試行を表す「…てみる」と過去の「た」の組み合わせによって、行為指示が表されています。
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- おいしいお菓子があるから うちにキタヤ。(来てください)(高知県四万十市方言、酒井 2013)
- ヒーツケテゴイタ。(火をつけてくれ)(島根県出雲市平田方言、野間・友定 2022)
- ケーチミタ。(書いてごらん)(長崎県藪路木島方言、郭・原田・前田 2025)
「過去」や「完了」の形式が「命令」を表す現象は、日本語以外に、中国語(普通話)、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語、ペルシア語、スウェーデン語にも確認されるといいます(Axel Svahn, “The Perfective Imperative in Japanese” より)。日本語の現代共通語だけを観察していると特殊な現象であるように見えますが、その枠を飛び出してみると、存外、普遍的な現象であることが分かります。
参考文献
参考文献
- 有田節子(2015)「「差し迫った命令」に関する覚え書き―日本語のテンスとモダリティの接点―」『九州大学言語学論集』35号
九州大学付属図書館 - 井上徳子(2015)「江戸時代における「待つた」・「待つたり」表現の史的考察―成立時期、特徴、及び「待つたり」表現の成立過程について―」『あいち国文』9号
愛知県立大学学術リポジトリ
- 郭昱昕、原田走一郎、前田桂子(2025)「長崎県藪路木島方言における「ちみた」を末尾に持つ行為指示表現について」『多文化社会研究』11巻
長崎大学学術研究成果リポジトリ - 北﨑勇帆(2023)「意味変化の方向性と統語変化の連関」ナロック ハイコ、青木博史(編)『日本語と近隣言語における文法化』ひつじ書房
- 酒井雅史(2013)「高知県四万十市西土佐大宮における行為指示表現」『阪大社会言語学研究ノート』11号
大阪大学学術情報庫OUKA - 野間純平、友定賢治(2022)「島根県出雲市平田」セリック ケナン、木部暢子、五十嵐陽介、青井隼人、大島一(編)『日本の消滅危機言語・方言の文法記述』国立国語研究所
国立国語研究所学術情報リポジトリ - Svahn, Axel (2013) The Perfective Imperative in Japanese. In Bjarke Frellesvig and Peter Sells (eds.) Japanese/Korean Linguistics Vol.20. CSLI Publications.
北﨑勇帆

参考文献