
研究室の入り口には、「秋田弁」と大きく染め抜かれたのれんが掛かっています。それをくぐって声をかけると、「どうぞ」と返事はあるものの、大西拓一郎さんの姿は見えません。デスクはパーティションの向こう側。パーティションと壁の間の細い通路を進むと、両側には講演会のちらしや新聞の切り抜き、地方のお祭りのポスターなどがびっしり張られ、方言に関する数種類の会報が束になってつり下げられています。その密度に圧倒されます。
「信州茅野の方言カルタ」を紹介する新聞の切り抜きが目に留まりました。「10年ほど前から妻の出身地である長野県茅野市に住んでいます。市民の有志とつくったもので、言語地図も付いているんですよ」。そう語る大西さんの専門は方言地理学です。「同じ日本語でも場所によって違うことばが使われています。方言地理学では、ことばの場所ごとの違いを調べ、なぜそのような違いが生じるのか、どのように変化してきたのかを明らかにします」
この記事は「研究室訪問」ですが、「ずっと研究室に座っていたのでは方言地理学の研究はできません」と笑います。調査地域に行き、人々に聞き取りを行う必要があるのです。2010年ごろから行った富山県庄川流域の調査と、長野県伊那諏訪地方の調査は、それぞれ約200地点で話を聞き、大学の研究者や学生と共同で4〜5年かかりました。

研究室に戻ると、調査結果を集計して整理し、使われていることばの形を記号化して地図上に配置していきます。それが言語地図です。「以前は白地図にゴム印を押していました。ものすごく大変な作業です。その後コンピュータで作成するようになりました。さらに最近は、地理情報システム(GIS)も利用しています」と大西さん。従来の言語地図では、隣接しているのになぜ違うことばが使われているのか疑問に思うこともあったそうです。「GISの地形データを重ねると、白地図では隣接している地域の間に山があることが分かったりします。GISの活用で、方言地理学が発展すると期待されます」。ただし、「その場に行くから気付くこともある」と、大西さんは強調します。
調査中に思わぬ出会いもあります。大西さんが茅野市で調査をしていたとき、訪問予定の家の場所が分からず、道を聞こうとある家を訪ねると、「おじいちゃんも方言の調査をしていましたよ」とのこと。「方言学で有名な牛山初男さんのお宅だったのです。それが縁で、蔵に残っていた資料を調査させていただくことができました。牛山さんは大学や研究機関に属さずに研究を行っていました。方言研究では、そうした市民科学者が活躍しています」と大西さん。国語研では2022年度から「市民科学」プロジェクトを実施しており、大西さんが代表を務めています。
「こどものころは天文学者になりたかった」と言います。「高校生のとき地元の天文同好会に入っていました。その活動の中で星の名前が地域によって違うことを知って興味を持ち、天文から方言へ方向転換したのです。でも実は、星の方言の研究は難しく、断念しました」
今も天体観測を続けています。「長野は天体観測に適していて、変光星や太陽を長期間観測している同好会もあります。それも茅野に来てよかったと思う理由です。そして最近、星の方言を研究する方法に気が付いたのです。星の方言に再挑戦し、数十年来の願いをかなえたいと思っています」
ことばの波止場 Vol.14-2 記事一覧
- 特集 : 言葉と文化と生成AIと
- 特集 : 「方言AI」を開発しています
- エッセイ : 外来語増加の実態は? 自作コーパスで調べてみました(金愛蘭)
- インタビュー : ことばだけでは、ことばは理解できない(持橋大地)
- 書籍紹介
- 研究室訪問 : 研究室を飛び出して(大西拓一郎)
- 編集後記