「ジェンダー」という外来語、見聞きする機会が急に増えたのはなぜでしょうか

「ジェンダー」という外来語、見聞きする機会が急に増えたのはなぜでしょうか

ある時期から急に、「ジェンダー」という外来語を見聞きする機会が増えたように思いますが、どういう事情があったのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えていますが、「2000年にピークを迎えます」を含め、内容は初出当時のものです。

「ジェンダー」という言葉の由来

「ジェンダー(gender)」というのは、元々ラテン系言語やドイツ語などで名詞の性を表す文法用語です。それが1960年代以降の社会学の分野で、人間が生まれながらに持っている生物学的な性別を「セックス」と言うのに対して、「男らしさ」「女らしさ」などと表現されるような社会的・文化的に形作られる性別を表す言葉として、使われるようになりました。日本では、1980年代後半から学問としてのジェンダー論が定着するようになりました。とはいえ、当初は一部の研究者やフェミニズム運動にかかわる人たちの中で使われていた言葉であり、一般によく見聞きする言葉ではありませんでした。

「ジェンダー」の普及

さて、質問者が「ある時期から急に増えた」と感じる時期は、恐らく1990年代半ばころだろうと思われます。その重要なきっかけは、1995年に北京で開かれ、国際的に大きな影響を与えた第4回世界女性会議(北京会議)です。日本では既に女性問題への政策的対応は進められていましたが、北京会議の成果を受けて、より一層政策の充実が図られました。その過程で「ジェンダー」という概念・言葉を積極的に使うようになったのです。1994年に設置された男女共同参画審議会は、1996年7月に「男女共同参画ビジョン」という答申を総理大臣宛に出していますが、ここで初めて公式の政策文書に「ジェンダー」という言葉が使われたと言われています。その後1999年に制定された「男女共同参画基本法」では「ジェンダー」という言葉は直接使われてはいませんが、国際文書でも普及した言葉であるとして、国は「ジェンダー」という視点を積極的に支援していくと表明しています。

「男女共同参画基本法」では、各地の自治体にもそれぞれに積極的な対応を取ることを求め、それを受けてこの政策は急速に広がりを持ちました。身近な市町村の役場が「ジェンダー」の視点を取り入れた施策に取り組んだことは、言葉が身近になった理由の一つでしょう。

一方、政策を離れたところでも「ジェンダー」という言葉はしばしば使われるようになりました。例えば、新聞で「ジェンダー」が使われる頻度を『毎日新聞』で調べてみると、1995年から急に増え始め(この年に年間20回を超える)、1998年には100回以上となり、2000年にピークを迎えます。同じころ、既に長く女性問題を扱ってきた研究機関や学会が、「ジェンダー」を含む組織名に変更したり、講座を開いたりする事例が増えていきました。このように、1990年代半ばころから、いろいろなところで、私たちが「ジェンダー」という言葉に触れる機会が増えていったことが分かります。

「ジェンダー」という言葉は、その概念が国の政策に積極的に取り入れられ、それを追う形で一般でも使われるようになりました。外来語が政策を通じて普及していく一つの典型と言えるでしょう。

「ジェンダー」が使われるようになった流れの年表

言葉本来の意味を理解する姿勢を

ところで、「ジェンダー」という言葉が広がる中で、「ジェンダー・フリー教育」を巡って議論がわき起こるなど、「ジェンダー」の意味が拡大し、混乱が生じました。こうした事態を受けて、2005年12月に「男女共同参画基本計画(第2次)」をまとめる際に、「ジェンダー」という語を使うかどうかについて政府内でも論争が起こりました。

新しい外来語が普及していく過程では、その意味を巡って多様な解釈が生まれ、そのために誤解が生じることもあります。その言葉が、そもそもどのような概念を表そうとした言葉や表現なのか、また、現在どのように使われようとしているのか、ということに留意して、慎重に使うことが必要でしょう。

(森本祥子)

執筆者

森本祥子
森本祥子 もりもと さちこ
東京大学文書館 准教授

MORIMOTO Sachiko
もりもと さちこ●東京大学文書館 准教授。
私の専門は記録・資料の保存です。国語研究所在職中は、ことばの研究に関わる資料の整理・保存に携わりました。
時代や社会を反映する「ことば」が、100年後、200年後にどう見えているのか想像するのは楽しく、また私の専門の観点からはそのための素材をいかに残せるかを考えることが、また楽しいことです。
この古い写真は、母の実家の押し入れに残されていたものです。まだまだ写真を撮ることは珍しかった明治7年に撮影されており、ガラス湿板という比較的残存量が少ないものです。アーカイブズ保存をしている自分の身近なところにこんな資料があったことにちょっとわくわくしています。

参考文献

  • 森本祥子(2010)「国立国語研究所における研究資料の保存と活用について : 集中管理の実現とEADによる資料記述の模索」、国文学研究資料館アーカイブズ研究系(編)『アーカイブズ情報の共有化に向けて』 岩田書院、pp.99-119