「謹啓」の結語

「謹啓」の結語

仕事上の挨拶状を「謹啓」で始め「敬具」で結んだら、間違った取り合わせだ、と上司から叱られました。手紙の頭語と結語とは、組み合わせが決まっているのでしょうか。

このような頭語(「前略」とか「拝啓」など)と結語(「草々や匆々」とか「敬具」など)との呼応は、習慣上ふさわしいものとされることが多い、という組み合わせなのです。ここでも、世間に溢れている「拝啓」よりも、一段あらたまって、より丁寧な印象を与える「謹啓」には、「謹白」「敬白」「頓首」などがふさわしいとされます(例:講談社『日本語大辞典』)。なかには、それらのうちの一つに対応・呼応関係が決まっていて、ほかを許さない、と書いている指南書もあります。

このように現代の手紙の「決まり」に見えるこれらの事柄も、元をただせば、実はマナーの集積による、いわば経験則です。会社や学校、社会集団によってその常識は、厳密には同じではなく、その範囲内での伝統や慣用が支配している部分もあるかもしれません。また手紙を出す相手の年齢や社会集団によっては、正しい用語や表記も陳腐に思われたりするかもしれません。

さて、明治初期の手紙の手本集(文範)を複数見比べてみると、現代とは異なる取り合わせもあり、また、なんと頭語だけしかなくて、結語の見当たらないものもあります。こうなると一定の決まりが、何らかの規則によって裏付けられて、確立したのだ、と考えるのは難しいでしょう。

一方、かつて中国では「書儀」といって、宛先である相手の呼び方や、書中で使う用語、や内容の順序など、手紙の書き方が伝統的に厳密に決まっていて、その手本が伝承されていたそうです。日本でもそれにならって、往来物(おうらいもの)などという手紙の手本が教科書のように大切にされた時代がありました。その系譜のなか、明治期には書簡文の手本類が多数出版されています。一方、現代の口語体(言文一致体)の手紙そのものは、そうした系譜のなかでは(あるいは日本語の歴史からみても)、そう古く長く由緒のあるものでありません。

さて現代、「拝啓-敬具」という組み合わせは、一般にとてもひろく使われています。そのとき我々は、この二語の語義を忘れ、単に手紙の体裁として形骸化させているのではないでしょうか。敬意表現としての効力も失いがちです。

この質問の場合は、「拝啓-敬具」という、いわば決まり文句ではなく、「謹啓」を使って、なお一層のあらたまりや、丁寧さを強調しようとして、いわば、実質的な敬意表現として、別の頭語や結語を選んでいる、ととってもいいでしょう。その際、それぞれの本来の語義を改めて考えてみる限り、何かと何かとを、どうしても取り合わせなければならない、というように厳密な一対一の取り合わせは決まってこないとも考えられます。

立場を変えて考えて見ると、相手から敬意表現として添えられた頭語や結語に対して、使い方が間違っている、失礼だ、ただすべきだ、とする人がいるとしたら、相手の敬意を無にしてしまっていることになりかねません。

今回上司の方が、「これには、これと決まっている。」と叱責されたその言葉も、「これを使うものだと、自分は長年いわれて育ってきたので、それが一番しっくりくると思う。」と言っているのだ、と解するのも一つの解決でしょう。

執筆者

山田貞雄 やまだ さだお
国立国語研究所

YAMADA Sadao
伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。